こんにちわ、りんごです。
ブログにご訪問頂きありがとうございます。
気付くと、随分長い間HSPの話題にブログで触れていなかったなぁと。
途中にリライトしたのは別として、最後に新しく書いてから2週間以上振りです。
HSPのお話は、私にとってセンシティブ過ぎて難しいので、書きかけては止まってしまいます。
ということで、久々のHSPのお話は、世間で言われる『生きづらさ』について、私自身が感じていることをお話したいと思います。
HSPとは?
HSPとは、ハイリー・センシティブ・パーソンの頭文字をとった言葉です。
また、子供の場合は、HSC、ハイリー・センシティブ・チャイルドといいます。
1996年にアメリカの心理学者である、エレイン・N・アーロン博士が提唱したもので
「資格や聴覚などの感覚が敏感で、非常に感受性が豊かといった特徴を生まれながらに持っている人」のことです。
- 物事を深く考える
- 刺激を受けやすい
- 感情面で反応、共感しやすい
- かすかな刺激に対する感受性が強い
の全ての特徴に当てはまる人をHSPと定義されるそうで、全人口の15~20%、つまり5人に一人程度の割合で存在すると言われています。
また、一つでも当てはまらない方は、HSPではありません。
もしかして?と思った方は、診断テスト、試してみてくださいね
『生きづらさ』って何?
テレビにしろ、インターネットにしろ、HSPについての番組や記述を見ると、必ずと言って目や耳にする言葉があります。
『繊細過ぎて生きづらい』『生きていくのが辛い』
はっきり言います。
強度HSPであり、HSEでもある私は、HSPであることによって生きづらいと思ったことはありません。
機会があれば詳しく書きますが、過去にうつ病になって休職したことがありました。
そして、子供時代にはずっといじめられっ子でした。
子供時代や鬱だった時は、何度も何度も自ら命を絶つことを考えました。
つまり、当時は生きることが辛かったんです。
それに比べて、今はどうでしょう?
HSPは真面目で頑張り屋なので鬱になりやすい要素を持っていると言われています。
そういう意味では生きづらいと言えるのかも知れません。
でも、ぶっちゃけた話、私には生きづらさが何かよく分かりません。
第三者から見た私は、生きていくのが大変そう
まだ、私がHSPという言葉に出会う前。
娘が生まれてすぐくらいの頃です。
義実家で、義父が淹れてくれたコーヒーを飲みながらおしゃべりしていた時、どういう流れでそんな話になったのか、私の身体の弱さについての話になりました。
それまでにも、義実家に訪問中に台風が直撃して、偏頭痛と吐き気で動けなくなったり、いろいろありました。
そんな私に義父からの一言。
「りんごは、生きていくのが大変そうだなぁ・・・」
しみじみとした目で私を見つめて、そんなことを口にする義父の方が辛そうに見えました。
HSPは甘えか否か?
それまでの私は、体が弱くて情けない、神経質すぎる、くよくよ悩み過ぎと、そんなことを両親から言われ続けてきました。
「他の人はなんともないのに、なんでりんごはダメなんだ?」
「私の若いころはそうじゃなかったのに、情けない」
言われれば言われるほど、どんどん自己肯定感は低くなりました。
どんなに精神的にダメージを受けても、どんなに体調が悪くなっても、他の人はみんな、この程度のこと我慢してるんだから、自分が耐えられないのは甘えだと思っていました。
当然のことながら、「生きていくのが辛い」なんていう発想には思い至りません。
でも、先述の義父の言葉で、あれあれ?なんか私って他の人と違うの?
初めて自分自身に違和感を感じた瞬間でした。
生きづらさの正体・・・
こういうことを書くと、HSPで生きづらいと感じてらっしゃる方からは反感を買うかも知れませんね。
でも、結論から言うと、やっぱり世間で言う「HSPは生きづらい」というのがよく分かりません。
更に言うならば、テレビ等の公の場で「HSPは繊細過ぎて生きづらい」と言い過ぎるから、「HSPはただの甘えだ」なんて思う人が出てきてるんじゃないかという気さえしてしまいます。
HSPだから起こる不調や気分の落ち込みは、「生きづらさ」だと言っていいのかも知れません。
でも、「人に会うのが辛い」とか、「光りが辛い」とか何かに対して「辛い」はあっても、それって「生きることが辛い」ということにはならなくない??と思う訳です。
鬱やいじめで、究極のことを考えた私だから、そう思うだけなのでしょうか?
今日までいろんなものを見聞きしたことで気付きましたが、どうやら自律神経失調症でもある私は一般的に言われているよりも、それらが強く表に出ている気がします。
この記事にある「HSPあるある」は、全て私自身が感じていることです。
それでもやっぱり、世間がいう「生きづらさ」が分かりません。
私は劣等感の塊です。
まだ私の中では、「他の人は頑張ってるのに」という思いは拭えません。
自分の頑張りが足りないと思ってしまうのです。
このコロナ禍で職を失った方とか、病気や虐待等で苦しんでらっしゃる方とか、物理的に、医学的に何かあれば、誰の目から見ても明らかなのかなという気がします。
でも、HSPは病気でもないし、治療できるものでもない、ただの感じ方。
他の人も、実は言わないだけで苦しんでるかもしれないのに?と思ってしまいます。
逆にHSPであることで、いろんなことに気付けたり、感動出来たり、メリットもたくさんありますしね。
義父の言葉や、HSPという概念との出会いによって、私はすごく楽になりました。
そういう意味では、「今まで実は生きづらかった」のかも知れません。
そして、もし仮にそれが生きづらさだったとすれば、HSPという言葉を知って、はてなブログでいろんな方と共感しあって、自分一人ではないということが分かったことによって「生きづらさが軽くなった」気がします。
もし、私と同じ気持ちの方がいらっしゃったら、ぜひぜひこちらも読んでください!
きっと楽になりますよ。
なんだか、とりとめがなさ過ぎて、何が言いたいのかもよく分からない記事になってしまいました。
HSPの皆さんが、少しでも楽になりますように!!!
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